彼女の口癖は、「感慨深い」だった。例えばきれいな景色を見たとき、昔の話をしているとき、相性の良い本や音楽、芸術に携わるものに出会ったとき、彼女は「感慨深い」と口にした。なにか心にくるものがあると必ずそれを口にした。僕は「おばあちゃんみたいだ」と笑ったけれど、彼女がその口癖を口にすると、なんとも心安らかな気持ちになる。例えば行く末とか、曖昧だけれど考え始めると繰り返される日常のループのなかで、煮詰まってしまうほどになる。そういうの。僕を不安にさせるものは生きいてる限りその数を絶やさない。ありとあらゆる心配事が頭をよぎる。だけど、例えば彼女の口癖とか、そういうのを聞くと、まるで"しあわせになる"というキャッチフレーズで有名なあの映画のヒロインがしあわせな悪戯を施すように、僕の心は微笑ましい気持ちになるのだった。

彼女はよく図書室に足を運んだ。彼女は本が好きだった。彼女は僕の斜め前の席に座っていて、授業が退屈だったりするといつも膝の上で文庫本を開いて読んでいた。教科書を机に立てて、一応先生から見えないようにと対処しながら。その日彼女が読んでいたのはたぶん、宮沢賢治の、「銀河鉄道の夜」だった。柔らかな日なたのにおいのする教室。かつ、かつ、かつ、とチョークで黒板に文字を記す歯切れの良い音。窓の外で木々が葉を揺らす音。あたたかい色合いの日差しが教室を包み込んでいる。僕は昼下がりの授業のこの調和のとれた、ひなたくさい静寂が好きだった。なんとなく周囲を見渡すと、かくん、かくん、と舟を漕いでいるクラスメイトが数人目に入った。退屈そうにノートに気だるい落書きを記しているクラスメイト、ぼーっと窓の外を眺めているクラスメイト。かと思えば背筋を伸ばし、先生の声に熱心に耳を傾けているクラスメイトもいる。僕のすぐ前の席に座っている高木だ。散髪したばかりなのか襟足がきれいに揃っていた。高木は華奢で、ひょろりと背が高い。肌の色が白く、少々貧弱な印象を受ける。茶色いフレームのめがねをかけているので、それが彼の雰囲気を柔らかくさせている。

僕は彼女に目をやる。淡々と進められる授業。先生が口頭で補足を加えながらも板書し、それを生徒がノートに写す。彼女は好きな授業だと言っていた。彼女はノートをとることが好きなのだ。自分の字はあまり好きではないらしいけれども。彼女の背中はすこし丸い。猫背なのだ。すこしだけ頼りなさげに見える。彼女はとてもゆっくりとした動作で顔を上げ、板書を見、ノートに文字を記していく。滑らかな髪が肩まですとんと垂れている。光があたると柔らかな薄茶色に見える。僕は板書を写すために顔を上げ、ノートに視線を移すほんの一瞬の間に、彼女の姿を盗み見る、シャッターを切るみたいに。それからノートに文字を記す。そしてまた、同じことを繰り返す。よく晴れた5月、火曜日の午後。相変わらず僕の大好きなあの女の子は、僕が想像している範囲内の行動やしぐさで僕の心の安定を保ってくれる。僕が惹かれているのは、彼女のもちあわす余裕だった。余裕と、深みだった。余裕っていうのは、いつだってこわいものなしみたいに構えてる。そういう大人びた余裕。いつまでも変わらない余裕と、深み。僕にとって彼女は、安心そのものだった。安心の象徴だった。感慨深い、まるで古いおとぎばなしみたいな存在。
(Jun14.2010)



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